NPO法人 から・ころセンター

青少年自立および福祉事業

「自分の居場所」ってどこ?

来所相談要予約

9:00〜18:00(土日可)

当法人に来所頂き、ゆっくりとお話を聞かせて頂きます。駐車場もございます。スムーズなご案内をさせていただくために、ご予約をお勧めします。他にも以下の相談活動があります。

電話相談

9:00〜18:00(土日可)

来所相談になる時、関係機関に繋がる前、遠方でなかなか来所出来ない方、どんな些細なことでも受け付けております。

オンライン相談要予約

お問い合わせください

さまざまな事情により来所頂けない方にお勧めします。Web上でカメラを使用して面談、相談をお聞きします。ZOOM、LINE、Skypeなどさまざまなアプリで対応しております。お気軽にお問い合わせください。

訪問相談

ご自宅にお伺いし相談をお聞きします。遠方の方は、まずはお電話にて相談ください。

メール相談

24時間受け付けております

来所や関係機関に繋がる前の相談ツールです。24時間受付しております。
※返信は、事業所運営時間内に返信いたします。

出張相談会

置賜広域で出張相談会を開催しております。日程・場所は各市町村の広報か、または当法人までお問い合わせください。

同行支援

役所の手続き、病院、学校の付き添いなど一人で行くのが不安な方に同行し支援します。

からんころん広場

何かしてもいい
何もしなくてもいい
そんな風にゆっくりと自由な時間を過ごせる
同じ境遇の仲間、同じ趣味の仲間と出会い、和気あいあいと話ができる温かい居場所です。

通常広場
午前 午後
10:00〜12:00 13:00〜17:30
水曜日〜日曜日 毎日※毎週金曜日は19:00まで開催
女性限定広場
午前
10:00〜12:00 毎週火曜日※月1回は土日開催
季節のイベント

  • 花見

  • 海の別荘に宿泊

  • 芋煮会

  • クリスマス会

他にも月1回のスポーツの日やカラオケ大会、ボーリング大会などなど・・・。
楽しいことが一年中あります!

一般利用料
500円/回(会員制度あり) 誰でも参加可

詳しくはお問い合わせください。

家族会

学習会

親の気づきや親の学びを学習する会

毎月第1日曜日 13:00〜16:00

定例会

同じ境遇の親同士、語り合い集う場所

毎月第3日曜日 11:00〜15:00

参 加 費

一般 500円/回

希望される方はご連絡ください。

家族会の様子

就労トレーニング -お仕事し隊-

仕事に自信がない方

就労継続支援B型事業所に
繋がらない方

対人関係が苦手な方

そのような方に向けて
簡単なお仕事を行います

仕事内容について

これまで依頼を受けておこなった仕事内容は、以下の通りです。

草刈り、サクランボ・ウメの収穫作業、パソコンの操作設定、チラシ作り、引っ越し・家具の移動、部屋掃除、ごみ処理、除雪、雪囲いなど

現在は地域企業、地域のご家族にご協力いただき古新聞や雑誌を回収させいただいている資源回収をメーンに、草刈り、雪かきなど何でも屋さんの役割で活動しています。

※資源回収以外のお仕事はご依頼を受けてからとなりますので、お問い合わせ下さい。山形県若者相談支援拠点設置運営事業
ひきこもりサポート事業

利用者の声

「安心を教えてもらった場所」
私にとって居場所とは「自分にとってここに居たいと思え、また周りがここに居ても良い」と感じられる場所です。
私は中学校の時、担任の先生との人間関係が上手くいかず不登校になりました。一時的に保健室登校をしたこともありましたが、その時も「自分にとってここに居たいと思う」ことはありませんでした。というのも保健室の先生も、私が教室へ早く戻るよう暗に促してきたことがあったからです。今思えば一日でも早く私が立ち直れるよう先生なりに私のことを考えて下さったんだと思いますが、当時心の余裕がなかった私は自分の今を先生方が「改善しなければならない間違った状態」と捉えているように感じ、また同時に「ここにいてはいけない」というメッセージだと受け取り、本格的にひきこもるようになりました。しかし意外にも家族は私の決断を驚くほどあっさり認めてくれました。「お前が学校に行きたくなければ行かなくていい。後で学校に行きたくなったら通信制もあるし、仕事も家でできるものもある。」それが「居たいと思え、居ても良い」と感じることができたひきこもって最初の「家族」という居場所でした。
よく、ひきこもっている方を外の世界という「別の居場所」に移す事が最初のステップであり早急にしなければいけないことのように思われがちです。年齢や経済的負担、周りの目などが当事者にとっても特にご家族にとってもかなりのプレッシャーになり、強烈な焦りを生むのは至極当然です。ただ私は「とにかく部屋から、家から出る」という『目標』ばかり先走って「誰の何のために」という『目的』がぼやけているように感じます。言うまでもなくそれは「当事者とご家族、周りのみんな」の「幸せ」のためのはずです。そしてひきこもっている今を「全て間違い」と否定してしまうのは益にならないと思います。私の経験ですが心の余裕がない時期はひきこもりという『状態』と自分自身という『存在』が一体化し、ひきこもりを否定されると自分の存在も否定されたように感じ、全力で抵抗した時がありました。力がない状態ではどんなに正論を伝えられて行動を求められても、そもそもエネルギーが空っぽでは実行できませんし、逆に自分を守ろうとする思いが働き耳を塞ぎたくなってしまいます。
乱暴な考え方だと思いますが、私は必ずしも居場所は外になければならないとは思いません。少なくとも初めのうちは安心できる場所である事の方が大切だと思います。それが家であれば家で、自分の部屋であれば自分の部屋で。今を否定されず安心感が満ちて「ちょっと欲張りだけど話が合う人とコミュニケーションしてみたい」と思えたらそれが時なんだと思います。私の場合、その時になって初めて「こういう考え方がある」「こういう世界がある」とプラスな驚きや発見をたくさんして、今こうしてこの原稿を書かせていただいています。もちろん居場所でも嫌な思いや痛い経験もしましたが、自分でも役に立てる、必要とされていると思えるよう居場所の方に受容していただけたので、ちょっとずつですが「もう一度やってみようかな」を積み重ねて少なくとも昔では考えられないところまで来ることができました。いつかはここを離れて更にチャレンジをしなければなりませんが、もしまたつらいことがあった時お茶飲みついでにまた顔を出せる今の居場所をとてもありがたく、そして頼もしく誇らしく思います。それが今の私が「自分にとってここに居たいと思え、また周りがここに居ても良い」そして「他の誰かの力になれる喜びを教えてもらった」この居場所です。

私にとってからころセンターの広場は、安心して自由に過ごせる場所です。
広場に通い始める以前は、主治医の先生に勧められてデイケアに通っていました。生活のリズムを整える、対人関係のトレーニング等が目的です。通院していた病院は県外で片道2時間程掛かりましたが、週3日通っていました。平日の日中に家にいると家族に小言を言われる事があり、なるべく家に居ないようにしていました。通院のない日は市内の店や図書館などを転々としていて、なるべく同じ場所に続けて行かないように気をつけていました。田舎という事もあり行くところが少なく、落ち着いて1日を過ごせる場所がないのが辛く苦しかったように思います。ある時病院の帰りに、NPO団体の居場所が帰り道の近くにあるので寄らないかという話になり、行ってみたのがからころセンターでした。建物は普通の民家で変に身構えることは有りませんでした。中に入ってみて雰囲気も騒がしいという感じではなく、スタッフやボランティアの方が接しやすかったのを覚えています。
広場では掃除や野良仕事等の手伝いをしたり、他の利用者さんと一緒にTVゲームやテーブルゲーム等して過ごす事が多いです。遊んだり話をしていると時間があっという間にすぎます。利用者の方々は色々な方が居ますが、高圧的だったり暴力的な方はいないのでギスギスするような事は特にありません。広場に通うようになって居場所なく市内を彷徨う事がなくなり、1日を落ち着いて・安心して過ごせるようになりました。最初は通院のない日に広場に通っていましたが、デイケアの交通費等が大変だった事もあり、段々と広場に通う日数が増えていきました。また広場では色々な事を経験しました。町のお祭りで煎餅などの商品を販売したり、広場の季節毎のイベント等に参加しました。以前の生活は季節感があまりなく、気がつくと時間が過ぎていたのですが、通い始めてからは花見、海への旅行、芋煮会、クリスマス会等のイベントで季節を感じる事が出来ました。特に海やクリスマス会ではお酒を飲んだりして楽しくすごせました。他にはKHJの全国大会にも参加しました。広島での大会で、初めて中国地方へ行きました。宮島や原爆ドームを見てまわり、広島の名物も食べられ良かったと思います。
全国大会では「8050問題」を取り上げており、幾つか事件や事例について話がありました。まるで自分の数年後のようで他人事ではないと感じました。また当事者や元当事者の方が、雑誌や新聞を作って販売している姿も見ました。そういう活動をしている人がいると知り驚いた事を覚えています。2018年の春に広場に通い始め、2019年1月からB型作業所にも通うようになりました。作業所に慣れるまで時間が掛かると思っていましたが、広場に通っていたのが良かったのかすぐ順応できました。週5日間ほぼ毎日作業所と広場に通い、約1年になります。2年前に行くあてもなく市内を彷徨っていた事を思うと、からころセンターに通うようになってからいい方向に進んでいるのではないかと思います。安心して過ごせる場所がないと、先の事を考える余裕も時間もないように思います。私には広場が必要です。

居場所というものは一つの言葉では言い表せないほどの意味を成している存在だと思います。 不登校中、殆ど学校に行っていなかった私に先生から居場所に行ってみてはどうかと勧められました。当時の私は高卒が人生の最低ラインと認識していたために不登校になってから焦りと拒絶の葛藤しかなく、不登校の日数が増えるにつれ焦りは最早どうでもいい、どうなってもいいという感情へと変わっていきました。初めの頃、親と対立してなにかと気性が荒く、暴力的だった日常も絶望してからというものの母親も登校を促すことも少なくなっていき、多少の焦りはあるも心は穏やかになっていきました。それからの私は学校へ行っていないことを除けば普通の青年だったと思います。母はそれでも学校と連携を取り、本人に悟られないように連携していました。
 学校の答えは母の期待していた事とは裏腹に「居場所」に行ってみてはどうかという提案でした。母はそこまで乗り気ではなかったのですが仕方なく了承し、先生からすぐ帰ってもいいから一度リラックスのつもりで行ってみてはどうかと言われ、焦りもなくなにもすることがない自分にはそれの解消になるかもと初めてそこで居場所を利用しました。
 不登校で何もやることがない私は居場所をなにか面白いこと、暇を解消する場所として利用することにしました。しかしながら私は期待というものは一切せず、終日スタッフや長く利用している人と話続けました。それまでは親と学校のみの関係しか持っておらず、そんな小さな世界しか知らなかったのですがこうして居場所という老若男女問わずあらゆる人生経験をした人が集まる所で学校を行かない第三の選択肢に固定概念として残っていた呪いの常識が壊されました。今思えばそれは一種の呪縛だったのではないかと思います。その呪縛に捕らわれ過ぎていたせいで本来広いべきであるはずの世界の視野を一点だけに狭めてしまったのです。その日から私には一日のサイクルに新しい行動が増えました。
 そのうち自分の人生に希望が見えてくると再び学校へ行きたいと思うようになり、それの相談をし始めました。最初は全日制の学校に通うため奮闘しましたが、しかし一度学校を挫折した自分にはやはり荷が重く、自分には合わないのだと再確認しました。それでも学校へ通いたかった私は通信校への入学を検討します。当然2度あきらめた学校へ3度いくとなればお金も、失った信用も必要となります。親も認めてくれないと考えたのでバイトをしながら通信校へ通うことにしました。居場所のスタッフ、かつて通っていた学校の先生らと共に母を説得し、目標だった通信校へ入学し、バイトも継続し、自分で学費を払いながら通っています。
 ここまで来て、振り返ると絶望だらけの人生だった過去の道が実は希望でありふれた筈の道であったことがわかります。今現在、居場所へ求めていることは仕事の疲れや学校での愚痴の吐き出すことです。不満は多少なりかはあります。でも何もすることがなく御咎めなしの不登校時代には戻りたいとは思いません。だからといって過去を帳消しにしたいかというとそういう訳でもありません。あの挫折があったがために経験が心の支えとなり自信ともなっているからです。居場所に通う回数は減りましたがこれからも居場所を利用し続けます。
 かなり話が脱線してしまいましたが冒頭で言った通り居場所というものは一つの言葉では言い表せない程の役目を機能しています。 最初は持て余した時間を潰すため。次に自力で現状を打開する相談相手。そして今は愚痴やストレスを癒しを求める所。私の場合はこう変化しましたが人によって違います。
 この時代、未来に夢を抱かない人間が多数存在していると思います。人生に躓いて絶望する人なんて山ほどいます。私のように居場所に救われた場合もあります。だからと言って居場所を現状を打破する万能薬だと勘違して結果が出ないと直ぐに止める人もいます。そもそも居場所を自分には必要ないと決めつけ遠ざける人もいます。居場所にはそれぞれの状態に対応する柔軟性があり、私のような躓いた人間にも順風満帆でも疲労困憊な人にも居場所は必要な施設です。しかしながらこの素晴らしき機能を持った居場所の知名度はかなり低く感じます。もっと居場所の必要性を伝えていけたらなと思いました。
 居場所の必要性についての、私の話は以上となります。

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